産婦人科での一件があったその後をここに記していこうと思う。
妻は里帰り出産を望み、お互い実家へ戻り出産までは別々に暮らすことになった。
実家に戻った妻は近所の産婦人科に通い、一連の話をしたところその医師は
「あってはならないことだ」
と行ったそうだ。。 うん、そらそうだ!
赤ちゃんも順調に成長し出産予定日まで3ヶ月になったある晩、妻から連絡がきた。
「破水したっぽい」
破水って出産直前に起こるものなんじゃないのか?
僕はこう思いました。
「とりあえず病院に行った方がいいよ」
そう伝えると
「一晩様子みて明日行ってみる」
と妻は言いました。
一緒にいないので、どんな状態なのか把握できなかったこともあり、心配しながら一晩を明かし、次の日、妻が病院に行くと、
「羊水がほとんどなくなってしまっています」
と診断を受け、至急大きな病院で入院することになりました。
妻の実家は都会ではないため、救急車で約一時間かけて市立病院へ行ったそう。(妻はもちろん、救急車の関係者さんもしんどかっただろう。本当にありがとうございます)
その日、病院から僕に連絡があり、
「非常に危険な状態ですが、ギリギリまで赤ちゃんにはお腹の中にいてほしいので、緊急措置をして24時間体制で様子を見ます」
とのことだった。
当時はコロナ禍で僕が妻のいる県に行き、病院で立ち会おうと思ってもできない。(2週間現地のホテルで滞在しないとその病院には入れなかった。)
僕は不安で押しつぶされそうだったが、産婦人科の一件を無事にやり過ごした妻と子供ならここも必ず切り抜けて無事に産まれてくるだろうという確信があった。
むしろそれ以外は考えなかった。
次の日かその次の日か忘れてしまったけど、また病院から連絡があり、
「このままだと赤ちゃんが感染症にかかってしまうかも知れませんので、今夜緊急手術を行います。」
ということだった。ついにこの時が来た
もちろん帝王切開、(妻には子宮筋腫があるので帝王切開は決まっていたのだが3ヶ月も早くなるとは)
手術前に妻から連絡があり
「頑張ってくるから」
とのことだった。泣いているような声だった。
僕は無理に笑いながら、
「頑張ってね、気持ちは一緒にいるから」
電話を切った後は全く落ち着かなかった。(当たり前か、一緒に入れなくてほんとにごめん)
2人の無事を祈りながらまだかまだかと病院からの連絡をまった。
そしてその時は来た。
「無事に手術は終わりました。身長は29cm、体重679gの元気な男の子です、今、奥様は麻酔で眠っていらっしゃいますので、また明日ご連絡してあげてください」
僕は父親になった。
正直現場にいないので実感が全く湧かなかった。
ただ2人が無事なことで一気に体の力が抜けた。
親の腸閉塞の手術の時、ばあちゃんの手術の時などもだったが、何度体験しても慣れないもんだなとつくづく思った。
次の日、妻に連絡を入れたら術後の傷が半端なく痛いようだったが息子のいるNICUまで頑張って会いに行ったようだ。(そりゃ行くだろうと思ったが、術後数時間で朦朧とする中、さすが母は強いと改めて感じた、ありがとう、病院に一度も行けなくて本当にごめん)
産婦人科での一件を乗り越え、予想外の出産も乗り越えた僕の妻と息子。
本当に強運の持ち主だと思うし、今、一緒に時間を過ごせていることに心から感謝と愛が溢れる。
以上が僕たちの経験した初めての子供を授かった話。
とはいえ、早産で未熟児での誕生となった息子の入院はこれから半年続いた。
それはまた別に記していこうと思う。